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2011年9月 9日 (金)

“物”が“者”になるためには。

『アルトー24時』が終って一息つこうと思ったけど、結局今度は『ユーリンタウン』に慌ただしくなって、ちょっとパニクってます。笑

『アルトー24時』の稽古・公演中はなかなかゆっくりブログを書く余裕がなかったので、ここで少し裏ショットをアップしていきたいと思います。


人形稽古の風景

Dscn2857


手前が江戸糸あやつり人形座主宰の結城一糸さん、奥は息子の田中敬太さんです。
人形演出は一糸さんが担当。
人形の使い方から、感情の作り方、その感情を人形を通じて表現するやり方など、僕達の監督係みたいなものでしょうか。笑

何より難しいのが、どんなに自分で役作りをしても感情を作っても、“人形がしゃべる”ということ。
人形という媒体を使って表現をする以上、そこには“技”が必要であり、人形を使えなければ感情などもってのほかなわけです。
例えば、笑うシーンがあったとして、人形遣いが“笑う”ための身体をそこに持ってきたとしても、人形がその身体になっていないと感情は置いてけぼり、どこへやらとなるわけです。
笑う時の人形の目線は、重心は、動きは。
“笑う”という一つの行為にいくつもの作業が同時に必要なわけです。

また、僕がやっているのは糸で操る人形ですから、「動かすパーツ(手・足など)の糸を持つ」から「人形本体に伝達する」までに時間差が発生するわけで、ということは次の動きを考えたとき、いつ次に動かす糸を持った方がいいのかという計算をしなければいけないのです。
そこには“使う”というあっという的な客観視が必要とされ、人形遣いは常に“客観”と“主観”を持ち行き来しなければならないのです。
それを自然に補うためには、もう修行するしかないんですね。
一糸さんもこの道60年、元十一代目 結城孫三郎の田中純さんもこの道74年ぐらいでしょうか。
打ち上げの席で純さんに、「まだ青いよ」と言われましたが、純さん言われたら、最早僕は真っ青です。笑

と、人形についてのほんの一握りお話ししましたが、その可能性は無限大で、同時に“自分”と言うものがなんなのかを問いをかけてくる面白い“物”なんですね。
“物”が“者”に変わったとき、人形遣としては一人前になるのでしょうか。
といっても、結局それは人間も同じかな。


稽古中はずっと人形を持っていたため、人形のコントロールパネル「手板」を持つ左手は、稽古が終る頃には悲鳴を上げます。
下手したら腱鞘炎。
というわけで、毎回アイシングをして帰路に着くのでした。

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